SE Can't Code

A Tokyo based Software Engineer. Not System Engineer :(

写真はコピー、フィルムはコピーのコピー。

 

 

写真とは、何か、

 

たかだか3年しかしていない僕ですが、たまに考えます。

写真とは、、

 

 

「コピーだ」

 

 

いろいろな考えや表現がありますが、僕はこれがしっくりきます。

特にフィルムになると、引き伸ばし機を光が伝い、印画紙に焼き付けられることでようやく形になるので、「コピーのコピー」と二段階の写しを通すことになります。しかしコピーといえども、ただのコピーではありません。大抵、コピーをすると元本より劣化しますが、写真に至ってはプラスに転じることができます。それこそ撮る側の想いや価値観、技術といったところです(当然劣化の場合もあります。そして全体的に劣化の場合の数が多いと実感しています)。言い換えれば、自分なりの"付加価値"を乗せること、になります。メッセージ性とよく言われますが、僕はこのメッセージ性という表現はあまり好きではありません。まず"メッセージ"じゃないかもしれないじゃないですか。だから僕は"付加価値"と表現しておきます。

 

 

僕自身、フィルムでしか基本写真を撮らない理由はここにあります。

二段階の写し、そこには創作性が溢れています。特に二段目のコピー、薄暗い暗室で、一人黙々と偏執的な愛を写真に注ぐ、この過程に僕は一番熱が入り、想いが紙に染み込みます。

 

 

 

ただの"コピー"ではないのです。

 

自分なりの表現というものが、そこには注がれているのです。

 

 

 

デジタルの編集という作業は少し異質な気がします。

率直に考えを言うと、「変化を起こすことが容易」であるため(試行錯誤の苦労はわかるのですが)、「ミスをしたらやり直す」というゲームでいうコンテニューの仕組みにどこか違和感を感じてしまいます。完全に好みですが。僕の周りは当然学生で、どうも軽んじた編集をしている人が多いので嫌悪感を抱いてしまうのです。そういった意味では、デジタルの世界に奥深く浸っている人と出会ってみたいという願望もあります。

 

 

あと、海外の街並みをそのままパシャりと撮り、作品にする人。

これにはいつも何も感じません。写真の本来の意義が、純粋な「コピー」であると思うので、写真としての否定はしませんが、「作品」となると別です。勿論これも否定はしません。しかし、受け入れもしません。撮り手を感じさせない作品に「海外の街並み」が多いのでこう言っているわけなのですが、本当にすごいのはその「海外の街並み」に自分のフィルターをかけている人。この人には脱帽です。ただ、やはり、海外街並みスナップを作品として見ると、被写体負けしているので素通りしてしまいます。被写体に勝つ、という表現が正しいかはわかりませんが、負けては全てが後ろに引っ込んでしまう気がします。そして二度と前(表舞台)には出てこないのです。

 

 

 

 

僕は"フィルム"が好きです。

コピーのコピーを行う過程が何よりも好きなのです。そこに生まれる変化が好きなのです。意図して生まれたのではない変化も勿論好きです。そこにも楽しさがあると思います。ワクワク感がそこにはある。

 

「創意と偶発性の間」に揺られているのが好きなのです。

 

 

そして何より、薄暗い、あの空間が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真とは、なんですか。

 

 

シンプルな答えを僕に返してください。

 

 

 

どうもありがとうございました。

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