SE Can't Code

A Tokyo based Software Engineer. Not System Engineer :(

失敗の数。

 

 

僕はその日一日の失敗をノートに書くようにしている。

 

そこにはバイトの失敗から、サークルでの会議、ゼミの時間、友人とのやりとり、好きな子へのアプローチと様々な種類の失敗が計上されている。決して人には見せることはないが、いざ自分自身、客観的にこの一日に一度は起こしているだろう失敗の数々を数cm上空から眺めてみると、なんて自分は駄目な人間なのだろうかと冷ややかな目を自身に向けてしまう。当然その中には同じ過ちが並んでいたりする。人は忘却の流れからは逆らうことができないのか、と言わんばかりにその失敗と再開する。会いたくもないのに、忘れた頃にやってくるのだ。そしてその古き友人と再会した時、自身の成長というものを嘆き、切実に重ねてきた歳を数えている自分がいる。

 

 

21年間の人生

 

いったいいくつもの失敗を重ねてきたのかはわからないが、その失敗の数だけ骨身に焼きつき、成長を遂げて大人に向かっているものだと思っていた。しかし相変わらず同じ失敗はしてしまうし、新しい失敗は日々大量生産されている。まるで水道の蛇口を捻ると水が溢れ出てくるように。

 

 

 

 

 

 

ただ一つ、良かったことがあるといえば、この"こと"に気付くことができた、ということだ。

同じ失敗は相変わらず犯してしまう。けれど、それに気付くことができた。二度三度と同じ失敗をしてしまえど、僕は気づいているから、四度目に対して意識を集中することができるのだ。ただここで三度目で失敗を避けることが出来ない自分を嘆いてしまうのだけれど。これも失敗としてカウントすることにする。「水道哲学」のように日々大量生産される失敗に対しても、気付きがなければ価値は小さく小さくなっていたはずだ。当たり前にならないように、気をつけるようになった。失敗を当たり前にしてしまうことは恐ろしいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

失敗をノートに取るようになってから、自分の器に多少の絶望感を抱いたのだけれど、それでも今は、多少は成長しているのだと信じている。

 

「三回目の失敗、次は失敗しないぞ」

成長していないように見えるも、四度目がなかったならそれは成長だ。僕は相変わらず、そこで自分の成長スピードを嘆くのだけれど。

 

 

 

 

 

 

それに大事なのは、失敗の回数ではなく、どの場面で失敗するか失敗しないか、である。

例えば、特に好きじゃない女の子と遊んでいる時に三度失敗しても別に大した問題じゃないのだ。

大事なのは、好きな女の子とデートに行くときに、失敗しないことだ。そこに四度目の正直を持ってこれば、成長と言えるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どこまでいっても、"失敗は成功の元"なのだから。

 

 

 

ただ、あとほんの少しだけ、精神的にタフになれれば、とこのノートを見ていて思う。

 

 

失敗しない人生を送る為にも、ね。

 

 

 

 

 

どうもありがとうございますた。

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